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リーマンショックとは何だったのか?~あの未曾有の世界金融危機を振り返る

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リーマンショックの背景と発端

リーマンショックは、2008年9月15日にアメリカの大手投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻したことを契機に始まった、世界的な金融危機です。しかし、その根本的な原因は、数年前に遡る経済的・金融的な動きにありました。リーマンショックに至るまでの背景とその発端を探ります。

1.1 サブプライムローン問題の始まり

リーマンショックの主要な原因の一つとして挙げられるのが、サブプライムローン問題です。サブプライムローンとは、信用力の低い借り手に対して提供された住宅ローンのことを指します。アメリカでは2000年代初頭から、住宅市場の好調を背景に、銀行や金融機関が高リスクなサブプライムローンを積極的に提供し始めました。

住宅価格が上昇している間は、これらのローンも比較的安全に見えました。借り手がローンの返済に行き詰まった場合でも、住宅を売却すれば返済が可能であり、金融機関もリスクを感じにくかったのです。しかし、2006年頃から住宅価格が下落し始めると、サブプライムローンのリスクが顕在化します。借り手がローンを返済できなくなり、次第に住宅ローンの不良債権が増加しました。

1.2 金融商品の複雑化とリスクの拡散

サブプライムローンが問題化する中で、さらに状況を悪化させたのが、金融商品の複雑化とそれによるリスクの拡散です。金融機関は、サブプライムローンを基にした金融商品(MBS: モーゲージ担保証券)を開発し、それを世界中の投資家に販売しました。これにより、サブプライムローンに内在するリスクが、アメリカ国内だけでなく、世界中に広がることになりました。

さらに、MBSだけでなく、これらを複合的に組み合わせたデリバティブ商品や、リスクを過小評価した格付け機関の甘い評価も相まって、金融市場全体が不安定化しました。これらの金融商品は複雑で透明性が低く、投資家や金融機関は自らがどれほどのリスクを抱えているのかを正確に把握できない状況に陥っていました。

1.3 アメリカ経済の構造的変化と政策の影響

リーマンショックを引き起こした背景には、アメリカ経済の構造的変化も無視できません。1980年代以降、アメリカは金融自由化の流れの中で規制を緩和し、金融業界の急速な成長を促しました。その結果、金融業界は経済全体の中で大きな割合を占めるようになり、リスクの高い投資が横行するようになりました。

また、政府や中央銀行の政策もリーマンショックの引き金となった要因の一つです。低金利政策が続いたことで、借り入れが容易になり、投資家は高リスクな商品への投資を増やしました。しかし、これが経済全体のバランスを崩し、バブル崩壊の要因となったのです。

1.4 総括

リーマンショックの背景には、サブプライムローンの拡大、複雑化した金融商品、そしてアメリカ経済の構造的変化がありました。これらの要因が重なり合い、最終的にリーマン・ブラザーズの破綻という大きな危機へとつながりました。この章で述べた要因が、いかにしてリーマンショックという未曾有の金融危機を引き起こしたのかを理解することで、次の章以降での詳細な分析に進んでいきます。

 

リーマン・ブラザーズの破綻

2008年9月15日、アメリカの第4位の投資銀行であったリーマン・ブラザーズが破綻し、そのニュースは瞬く間に世界中を駆け巡りました。リーマン・ブラザーズの破綻は、リーマンショックの象徴的な出来事であり、この一件が世界経済にどれほどの打撃を与えたかを理解することが、リーマンショックを語る上で不可欠です。

リーマン・ブラザーズは、1844年に設立されたアメリカ最古の金融機関の一つで、160年以上にわたり成長を続けてきました。特に2000年代初頭には、住宅ローン証券(MBS)や複雑な金融商品(CDO)に投資を集中させることで、大きな利益を上げていました。しかし、この積極的な投資戦略が、後に同社の致命的な弱点となります。

サブプライムローン市場の崩壊が始まると、リーマン・ブラザーズが保有する不良資産の価値は急激に下落しました。これにより、同社の財務状況は急速に悪化し、投資家や取引先からの信用が失われました。リーマン・ブラザーズは、資本増強や政府支援を模索しましたが、いずれの手段も成功せず、最終的に破産保護を申請するに至りました。

リーマン・ブラザーズの破綻は、金融市場全体に波及し、同時に他の大手金融機関の経営危機を招く引き金となりました。市場は混乱し、世界中の株式市場が暴落し、銀行間取引も停止状態に陥りました。また、リーマン・ブラザーズが取引していた多数の金融機関が連鎖的に影響を受け、結果として世界経済全体が深刻な不況に突入しました。

リーマン・ブラザーズの破綻は、単なる一企業の破綻を超えて、金融システム全体の脆弱性を露呈させました。この出来事は、金融機関が持つリスク管理の重要性と、過剰なレバレッジがもたらす危険性を浮き彫りにし、後の金融規制強化の必要性を強く印象付けることとなったのです。

 

世界金融市場への影響

リーマン・ブラザーズの破綻は、単なる一企業の倒産に留まらず、世界中の金融市場に連鎖的な大混乱を引き起こしました。破綻が発表された2008年9月15日以降、金融市場は極度の不安に包まれ、数日以内にその影響は全世界に広がりました。以下に、その具体的な影響をいくつかの主要な側面から見ていきます。

株式市場の大暴落

リーマン・ブラザーズの破綻直後、ニューヨーク証券取引所(NYSE)をはじめとする世界中の主要な株式市場が急落しました。アメリカのダウ工業株30種平均(ダウ平均)は、短期間で数千ポイント下落し、他の先進国の市場も同様に大幅な下げを記録しました。特に金融株や不動産関連株が売り叩かれ、投資家の不安が一気に表面化しました。

この暴落は、リーマン・ブラザーズが抱えていた多額のデリバティブ取引が一因となり、取引相手や関連する金融機関にも大きな不透明感をもたらしました。これにより、株式市場は流動性を失い、投資家心理が冷え込みました。

銀行間取引の停止と信用危機

リーマンショックの影響で最も深刻な問題の一つが、銀行間取引の停止です。リーマン・ブラザーズの破綻によって、金融機関同士の信用が著しく低下し、互いに貸し借りを躊躇するようになりました。これにより、通常の銀行間取引市場が機能不全に陥り、金融機関が日常的に必要とする短期資金の調達が困難になりました。

特に、信用市場(クレジットマーケット)が大きく縮小したことで、企業の資金繰りにも深刻な影響を与え、リーマンショックは実体経済にも波及しました。企業は新たな融資を受けられず、雇用の削減や投資の中止を余儀なくされ、世界的な景気後退(グローバルリセッション)へとつながりました。

各国の緊急対応と市場への影響

リーマンショックの余波を受け、各国政府と中央銀行は緊急対応を余儀なくされました。アメリカでは、連邦準備制度理事会(FRB)が迅速に利下げを行い、大規模な資金供給を実施しました。また、政府は数百億ドル規模の資本注入を行い、金融機関の救済に乗り出しました。

ヨーロッパやアジアでも同様に、中央銀行が市場に流動性を供給し、金融システムの安定化を図りました。例えば、欧州中央銀行(ECB)や日本銀行(BOJ)は大規模な資金供給オペレーションを行い、信用収縮の緩和に努めました。

しかし、これらの対策は短期的な市場安定には寄与したものの、投資家の不安を完全に払拭するには至らず、株式市場の回復には時間がかかりました。また、各国が実施した大規模な財政出動は、後に財政赤字の拡大という別の課題を生むことになりました。

 

リーマン・ブラザーズの破綻が引き金となったリーマンショックは、金融市場の脆弱性を浮き彫りにし、世界経済に未曾有の混乱をもたらしました。株式市場の大暴落、銀行間取引の停止、そして各国の緊急対応策は、リーマンショックがもたらした広範な影響のほんの一部に過ぎません。この経験は、金融市場がいかに連鎖的に影響を受けるかを示すとともに、今後の金融システムの強化の必要性を痛感させるものでした。

 

リーマンショック後の各国の対応

リーマンショックがもたらした混乱は、各国の政府と中央銀行に対し、未曾有の対応を迫りました。金融システムが崩壊する寸前であったため、各国は迅速かつ強力な経済政策を打ち出し、危機の拡大を防ぐために動きました。この章では、主な政策対応とその影響について詳しく見ていきます。

アメリカの対応:TARPと連邦準備制度の介入

アメリカ政府は、2008年10月に不良資産救済プログラム(TARP)を成立させ、最大7,000億ドルの資金を投入して金融機関の救済に乗り出しました。TARPの目的は、銀行のバランスシートから不良資産を除去し、信用の回復を図ることでした。これにより、多くの大手金融機関が倒産の危機を免れましたが、同時に公的資金の投入に対する国民の不満も高まりました。

また、連邦準備制度(FRB)は、金利をほぼゼロに引き下げ、量的緩和政策(QE)を導入しました。これにより、金融市場に大量の流動性が供給され、クレジット市場の正常化が図られました。これらの政策は、経済の急激な悪化を防ぐ一方で、長期的にはアメリカの財政赤字と資産バブルの懸念をもたらしました。

ヨーロッパの対応:銀行救済と緊縮財政

ヨーロッパでは、各国が自国の銀行システムを守るため、次々に救済措置を実施しました。イギリスでは、政府が複数の大手銀行に資本注入を行い、国有化に近い形で金融システムを支えました。また、ヨーロッパ中央銀行(ECB)は、FRBと同様に金利を引き下げ、各国の銀行に対する緊急融資プログラムを展開しました。

しかし、これらの救済措置がもたらした財政負担は、特にユーロ圏の財政危機を招く一因となりました。ギリシャ、スペイン、ポルトガルなどの南欧諸国は、急激な財政赤字の増加に直面し、緊縮財政政策を余儀なくされました。これにより、社会不安が高まり、ユーロ圏全体の経済成長が鈍化する要因となりました。

国際協調:G20とIMFの役割

リーマンショック後、国際社会は協調して危機に対応するため、G20が重要な役割を果たしました。2008年11月に開催された初のG20首脳会議では、各国が協調して金融システムの安定化を図る方針が打ち出されました。これにより、金融規制の強化や国際通貨基金(IMF)を通じた支援策が進められました。

IMFは、特に影響を受けた新興国に対する緊急融資を行い、世界的な金融危機が新興市場に波及するのを防ぐために尽力しました。また、IMFは、各国の経済政策を監視し、危機の再発防止に向けた提言を行うことで、世界経済の安定に寄与しました。

政策の効果とその後の課題

リーマンショック後の政策対応は、短期的には世界経済の崩壊を防ぎましたが、長期的にはさまざまな課題を残しました。金融機関の救済によって財政赤字が拡大し、各国の債務問題が深刻化しました。また、量的緩和による過剰流動性は、資産バブルを再び引き起こすリスクを高めました。

さらに、各国の緊縮財政政策は、特にヨーロッパにおいて成長の鈍化をもたらし、失業率の上昇や社会不安の増大を招きました。これらの課題は、今なお世界経済に影響を与え続けており、危機後の新たな経済秩序の模索が続いています。

このように、リーマンショック後の経済政策は、短期的な安定をもたらす一方で、長期的な影響と新たな課題を生み出しました。これらの教訓を踏まえ、今後の経済政策においては、持続可能な成長と財政健全化のバランスをいかに取るかが問われています。

 

リーマンショックの教訓とその後の規制強化

リーマンショックは、金融市場の脆弱性とグローバル経済の相互依存性を強烈に浮き彫りにしました。この未曾有の危機から学ばれた教訓は、今後の金融政策や規制強化に大きな影響を与えました。ここでは、その主要な教訓とそれに基づく規制強化について詳しく見ていきます。

まず、リーマンショックがもたらした最も重要な教訓は、「過度なリスクの集積は、金融システム全体に甚大な影響を及ぼす」という点です。特に、サブプライムローンのような高リスクの金融商品が大量に販売され、そのリスクが複雑なデリバティブ商品を通じて広範に拡散されたことが、危機の深刻化を招きました。このような状況を避けるため、金融機関はリスク管理を徹底し、透明性を高める必要があるという認識が広まりました。

この教訓を受けて、各国政府や国際機関は金融規制の強化を推進しました。その代表的な取り組みが、アメリカにおける「ドッド=フランク法」の制定です。2010年に成立したこの法律は、金融システムの安定性を確保し、再び同様の危機が起こらないようにすることを目的としています。ドッド=フランク法は、金融機関の資本要件を厳格化し、消費者保護を強化するための新たな規制を導入しました。また、「Volcker Rule(ボルカー・ルール)」によって、銀行の投機的取引が制限され、自己勘定取引(プロプライエタリー・トレーディング)が抑制されました。

さらに、リーマンショックは国際的な金融規制の調整の重要性を再認識させました。その結果、バーゼル規制の強化が進められました。特に「バーゼルIII」は、銀行の自己資本比率を引き上げるとともに、流動性の確保やリスク管理の強化を求める内容となっています。これにより、各国の銀行はより堅固な財務基盤を持つことが求められ、金融システム全体の安定性が向上しました。

また、リーマンショックの教訓は、単に規制強化だけでなく、監視体制の強化にもつながりました。各国の中央銀行や金融監督当局は、金融機関の健全性をより厳密に監視し、早期にリスクを察知するためのメカニズムを整備しました。これにより、リーマンショックのような危機が再び発生する前に、適切な対応が取られることが期待されています。

最後に、リーマンショックはグローバル経済における協調の重要性も強調しました。危機後、G20をはじめとする国際的な協議体で金融規制の調整が進められ、各国が協力して世界経済の安定を維持するための枠組みが構築されました。こうした協調的な取り組みは、今後の金融危機の予防においても不可欠な要素となるでしょう。

リーマンショックから得た教訓は、金融市場の安定を保つために欠かせないものであり、それに基づく規制強化は、再び同様の危機を避けるための重要なステップとなりました。今後も、これらの教訓を忘れることなく、常に適切なリスク管理と透明性の確保を心掛けることが、持続可能な経済成長の鍵となるでしょう。

 

リーマンショックから10年以上経った今

リーマンショックから10年以上が経過し、世界経済は大きく変化しました。2008年の危機は、多くの国々にとって痛烈な教訓となり、その後の金融政策や規制の強化、そして経済の再編成に大きな影響を与えました。

リーマンショック後、各国の中央銀行は異例の金融緩和策を実施しました。アメリカのFRBはゼロ金利政策や量的緩和を導入し、ヨーロッパや日本も同様の政策を展開しました。これにより、短期的には金融市場の安定が図られ、経済は徐々に回復しました。しかし、この金融緩和策が長期的に続いたことで、現在では低金利環境が常態化し、資産価格のバブルや債務の増大といった新たなリスクが生まれています。

さらに、リーマンショックを機に、金融規制が大幅に強化されました。アメリカではドッド=フランク法が制定され、銀行や金融機関のリスク管理が厳格化されました。また、バーゼル規制の強化により、国際的な銀行の資本基準が引き上げられ、金融システム全体の安定性が向上しました。これらの規制強化は、次なる金融危機の予防策として機能しているものの、一部の専門家からは、規制が過度に厳しく、経済成長を抑制する要因になるとの指摘もあります。

リーマンショック以降、世界経済はデジタル化の進展や新興市場の成長により、新たな形態へと変貌を遂げました。特にアジア地域では、中国やインドを中心とした経済成長が著しく、世界経済における影響力が増しています。また、テクノロジー企業が経済の中核を担うようになり、デジタル経済が急速に拡大しました。このような変化は、新たな経済のダイナミズムを生み出す一方で、従来の産業構造や雇用市場に大きな変革をもたらしています。

一方で、リーマンショックから10年以上経過した今でも、世界経済は依然として不確実性に直面しています。2020年には新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、リーマンショック以来最大の経済危機を引き起こしました。パンデミックに対する各国政府の対応は迅速で、財政刺激策や再び行われた大規模な金融緩和により、経済は急速に回復しましたが、依然として世界経済にはパンデミック後の回復の速度や、各国の財政健全性への懸念が残っています。

また、地政学的リスクの増大や、気候変動問題、そして所得格差の拡大も、現在の世界経済における主要な課題となっています。リーマンショックから得た教訓は、これらの複雑な問題に対処する上で重要な指針となるでしょう。特に、金融システムの安定性を保ちながらも、持続可能な経済成長を実現するための新たなアプローチが求められています。

 

※当ブログで紹介している情報・データは正確を期すよう努力していますが、誤りや変更が生じる可能性があります。投資判断はあくまで自己責任で行っていただくようお願いします。